失敗学の精神は「この失敗をあなたの身の回りに当てはめてください」【一般化して自分に当てはめる】

失敗学の精神は「失敗を自分に当てはめる」

 失敗学を用いて失敗を分析する時は、以下の3つのステップを実践する。

  1. 失敗を主観的視点で認知する
  2. 主観的事実を一般化して、教訓を得る
  3. 教訓を個々に当てはめ、失敗の未然防止を行う

 失敗学の精神は「失敗を自分に当てはめる」である。自分と関係なさそうな失敗事例を、上記ステップを実践することで、自らにも有用な教訓へと昇華させる。

自分を失敗に当てはめるのではない

 「失敗事例の考察をしてください」と依頼すると、普通はまず、自分を失敗事例の中の登場人物に当てはめて考える。そして、「私だったらこうする」「この作業を行う時はこれに気をつけよう」と考察して、終了である。このやり方も悪くはないが、少し弱い。なぜなら、失敗事例と極めて類似したシチュエーションでしか使えない教訓を得たところで、失敗事例の考察が終わってしまっているからである。

失敗事例を自分の身の回りに当てはめる

 失敗学の精神は、「失敗を自分に当てはめる」である。失敗事例の主人公になりきり、なぜ失敗したのかを良く考える。そして、その事例から学ぶべき教訓を一般化して、自分の身の回りに当てはめることで、自分の身の回りの事故を未然防止する。

例を用いて失敗学を考える

 例を用いて失敗学について考える。今回の例は、高校の山岳部が雪山で雪崩に巻き込まれて被災するという事例について考える。なお、実例をモデルにしているが、情報が少ない部分は当事者の心境を推測して補完する。

 ある日、山岳部の生徒と顧問の先生が二泊三日の登山講習会を行なっていた。時期は3月であり、山の上はまだ雪が豊富にある状況だった。講習最終日は雪中歩行の訓練を実施する予定だった。当日は、初日・二日目と同様、大雪注意報が出ていた。過去二日間も雪が降っていたが、特にトラブルなく講習を進めることができたため、最終日も予定通り講習を始めた。いざ講習を始めるために、講習場所に移動すると、昨晩からの雪の影響で昨日に比べて雪が多く積もっていることに気が付いた。大雪による危険が少し頭をよぎったが、参加している生徒たちの「講習を実施したい」という気持ちを考え、講習を継続することにした。そして、雪中歩行訓練を開始した約30分後、大規模な雪崩が発生し、講習参加者が巻き込まれるという事故が発生した。

 この事例を見て、「冬の山では雪崩に気をつけよう」という教訓だけでは、雪崩が発生するような雪山に行く人にしか役に立たない教訓となってしまう。この事例の教訓を失敗学を用いて分析することで、誰でも適用できる教訓を導く。

 今回の事例の問題点の1つとして、生徒の最も身近な存在である顧問の先生が、講習を中止すべきか判断する立場だったことが考えられる。講習を実施すべきかどうかは「雪崩が起きる危険性が高いか否か」で決めるべきであり、「生徒が講習を実施したいと言ったかどうか」ではない。雪崩の予見は可能だったという報告があり、その予見に従うことができれば事故を防ぐことができた。顧問の先生も雪山を知っている先生なので、予見できたと考えるべきである。しかし、講習を継続すると判断した。その判断の背景には、何か理由があるはずであり、今回は「生徒が希望した」という理由を推測した。

 以上のように考えると、今回の事例の教訓は「情が入って判断を誤る可能性があるものは、事前に判断基準を決めておこう」となる。この教訓は、私が考えた教訓であり、導き出す教訓は人それぞれである。

 「情が入って判断を誤る可能性があるもの」を考えると、身の回りに無数にある。家族や友達との旅行、地域の催し、会社のイベント、なんでも良い。「せっかく準備したから」「みんなが楽しみにしているから」などの気持ちが生まれるものは、「情が入って判断を誤る可能性があるもの」である。そのような時は、「事前に中止基準を決めておく」「情が入らない第三者が中止を判断する」などの対策を決めておくことで、感情に流されることを防ぐことができる。